生誕40周年記念✨へっぽこ半生を振り返る②
こんにちは!那須に移住して田舎暮らしをしているAOです。
生誕40周年という節目でもある為、我が半生を振り返っているところです。
第一部では高校生までの出来事を振り返りました。
掻い摘むと、
- 内気で内向型の子供が、
- 突然アメリカと言う異国に放り込まれ差別に遭い、
- 母国であるはずの日本に帰国するとキコクシジョというレッテルを貼られて異物扱いされて、
- 完全に人間不信になり、
- 自分も世界も否定しまくりの歪んだ少女に育つ
ここだけ見ると、まったくつまらん人生ですねw
さて、今回はその少女が大人になっていきますよ~
アンタの半生になんて興味ないんですけど!
と言う方は、代わりにご自分の半生を振り返ってみてはいかがでしょうか?
忘れていたはずなのに克服していなかった「痛み」に改めて向き合う事で、心がすっと軽くなりますよ♪
光と闇の大学生時代
高校時代は
]アメリカにも日本にも私の居場所がない…
と自分を含めた全てを憎み悩んだ日々でしたが、大学に入ると光の兆しが見えてきます。
「異物」じゃない安心感
私が入学した大学は「帰国子女の駆け込み寺」として有名な大学でした。
本当は違う学校を志望していたのですが、諸々の事情により諦めざるを得なかったのです。
ちなみに帰国子女枠ではなく一般枠で受験しています
親や教師に勧められるがままに入学した大学ですが、自分と似たようなキコクシジョあるある経験者の学生がたくさんいる環境で、私は少しずつ気持ちが晴れて行きました。
ここならアメリカでの生活の話をしても「自慢」ではなく、単なる「思い出話」で済む!
こんなに気が楽な場所があったのか!
この世の終わりみたいな暗闇に、光の筋が差し始めた瞬間でした。
嫌われて当然…え、ちがうの?
と思った反面、
結局のところ大学生活は楽しくもなく退屈でもないという微妙な感じだったのですが(;^ω^)
「学校が全て」な高校生と違い、生活の自由度が高い大学生なので、その点では生きやすさは格段にマシでした。
特にハマったのが一人旅。
青春18きっぷを片手に日本全国津々浦々、気ままに鉄道の旅をしました。
宿泊するのはユースホステル。
他の旅人たちと相部屋で、ホストファミリーと一緒に食卓を囲み、一晩だけの「家族」のように過ごせる宿です。
たまたま同じ日に同じ宿に居合わせただけの赤の他人たちなので、私の過去なんて知るはずもありませんし、詮索してくる人もいません。
ここ来る前に〇〇寄ったんだけど、すごく良かったよー
写真見せあいっこしようよー
デジカメで撮った写真を披露したり、お互いの旅の報告などをしながら、他愛のない会話を楽しみました。
お互いの素性どころか名前すら知らないまま時を過ごす仲間たち…当時の私にとっては、最高にして最上の距離感でした。
私なんて嫌われて当然だと思ってたけど、そんなことなかったんだ!
思ったことを、思ったようにしゃべっても、
おもろいキャラに出会ったなー
で済む世界が、そこにはありました。
青春18きっぷは貧乏学生に人気ですが18歳以上でも使えます!JR全線の普通列車に乗れます。一部例外あり。
自作ホームページ
最高にして最上の距離感はインターネットにもありました。
「ブログ」なんて呼び方も確立されていない当時、私は自らホームページを立ち上げ、趣味の世界を文章化するという作業に没頭したんです。
今は死語のBBS(掲示板)で同じ趣味の人たちと交流していたこともあります!
HTMLタグを独学で勉強しましたよ…テキストでコーディングしてFTPでサーバにアップロードして…Perlも齧ったなぁ
実際にネットで知り合った人とオフ会的なもので会ったこともあります。
長く続いた関係はないけど、
自分の過去を知らない適度な距離のある人
に対する安心感は、当時の私にとっては必要不可欠な存在でした。
みなさん、ネスケって覚えてますか??
「社会不適合者」が社会へ…
とはいえ、リアルつまり生身の人間との生の交流に対する苦手意識は克服しきれておらず、自分は「社会不適合者」だと自覚していました。
大学も楽しみ切れなかったし…
そんなある日、就活を始めることになります。
自分が社会に出てサラリーマンとして働くなんて想像もしていなかったけれど、時の流れとは無情なもの。
父からのプレッシャーも強まりました。曰く、お前は国家公務員になれ、と。外交官として世界を股に掛けるのだ、と。
私は思いました。
このまま国家公務員になったら、文字通り一生この男の言いなりじゃないか!
国家公務員になりたくないとか、そういう問題ではありません。誰かに自分の事を決められるのが猛烈に嫌なのだと、その時にハッキリと自覚したのです。
ニホンジンだとかキコクシジョだとか勝手な概念で私を決めないで!!アタシはアタシだよ!!
アメリカに渡ったのだって日本に帰国したのだって大学選びだって、何一つ自分で決めていない。
自分で決めていないのに、嫌な目に遭ったり、苦しんだりするのは自分。
許せん。
何の取り柄もないキコクシジョ
でも、やりたい事なんて無い。
実は、高校3年生の時、大学進学にせず「音楽専門学校に行きたい」と父に相談したが反対され、説得虚しくすごすごと言いなりになったのでした。
もはや将来に希望も夢もない。
父の望まない姿になって奴の呪縛から解放されてやる
この反抗心だけが私の原動力でした。
でもそこで、私は気づいてしまった。
学生時代にしたことと言えば、一人旅とホームページ作成。
華々しいサークル活動やアルバイト経験もなければ、没頭した研究なども無い。
売りにできるようなスキルも経験もない…
かといって就職留年して父に支配された生活を送るのだけは避けねばならん…
や、やむを得ぬ。
あんなに反発した「キコクシジョ=英語デキル」だけど、他に選択肢が無い。
かくして、
自分の海外経験を生かしてグローバルに活躍できる人材になりたいです!
なぁんて心にもないセリフを吐いて就活し、某民間企業に就職することとなったのでした。
反抗…成功!!
ふっふっふ、反抗は成功しました✨
本音ではグローバルとかどうでもいいけど、民間企業に就職して父の支配から逃れるという点においては誰にも負けないヤル気があった訳です。
これが正しい行いかどうかは別として、
自分で決める
という儀式が私にはどうしても必要でした、例え古傷を商売道具に変えたとしても。
だって、自分で決めた事で苦しんだり悩んだりしても、
自分のせい。
わーい 自分のせいだよっ?
親とか皆とか世界とか誰かのせいにする必要が無いんだよ♪♪
ちなみ国家公務員なっとけばよかったと後悔したことは一度もありません
私が私という個人の主導権を勝ち取った瞬間でした。
自分の物語の主役は自分
その後社会人になってからも色んな事が起きてますし、幸せいっぱい順風満帆という事はないです。
ですが、少なくとも「自分」という軸をブレさせずに生きた結果が、キャリアにも今の生活にも現れているのかなと思います。
ありきたりな言葉ですが、自分という物語の主役は自分なんです。
ニホンジンだとかキコクシジョだとか、関係ありません。
自分は自分です。
同じように、
私は〇〇だから…
と思ったり言われたりして身動き取れずにいる人や、誰かのせいにする事でなんとか自分を慰めたり宥めたりしてる人って少なくないと思います。
固定概念や既成概念に囚われないで!!
生きたいように生きよう!
欲しいものを手に入れよう!
自分のために!!!!
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